ミラクルライフコーチBenBenが、あなたの人生設計を応援します。夢を実現させ続ける人生。そんな人生を応援します。
ミラクルライフコーチ BenBenの夢物語


BenBen自伝
夢物語

0.プロローグ
1.幼少期
2.辛い時代−1〜いじめにあう〜
3.キッカケ。。。「社会事件」そして、笑わせる楽しさ
4.お笑いを目指す。そして、好きな子への語りと勝手な誓い
5.恋は散っても、夢は散らない
6.上京
7.頑張る僕と現実と
8.ラストチャンス。
9.ドロップアウトとフリーター
10.辛い時代−2〜空白の人生での出来事〜
11.夢再び
12.エピローグ


0.プロローグ
「お笑い芸人になる」
この夢を聞かれて、皆さんはどう思うだろうか?

なれるわけないって?
勝手になれば?
なんでお笑い芸人なの?

皆さんにとっての「お笑い芸人」とはどんなイメージだろう?

僕にとっては、素晴らしい人達。これに尽きる。

「お笑い芸人」の中にはピンからキリまでいるのは確かである。
しかし、僕は、「ひょうきん世代」として
「ビートたけしさん、明石家さんまさん、と競演し、一流と認められる、面白いと認められる。」
という夢がある。
もちろん、今の夢だ。

ゆくゆくは、ノーベール平和賞も取りたいと考えている。
が、僕にとって「夢」とは「一流芸人」だ

一時期は途絶えた夢だが、今は、追い続けてる夢がある。

なぜ、このような夢を持ったか、私事ではあるが、僕の夢物語として多くの人に知ってもらいたい。
そして、一人でも多くの人に夢を持ってもらいた。
夢を持つことの素晴らしさを知ってもらいたい。

そんな思いから、僕自身の思いを「夢物語」として書くこととしました。


1.幼少期

僕の幼少期はとても、わがままな子供であった。
自分でそう思ってる。(万引きとかに走ったわけではないが)親には迷惑をかけ
妹にも優しい兄ではなかった。

幼稚園、小学校低学年では、典型的な「強い物にぶら下がる」コバンザメ人。
そのくせ態度がでかい。よく泣かされた物だ(笑)

しかし、それなりに学校は楽しく、友達もおり、楽しい日々を過ごしていたのだが
小学校3年の冬に、転機が訪れる

2.辛い時代−1〜いじめにあう〜

僕は、小学校3年の冬に転校した。
親の仕事の都合だ。
もちろん、友達もいたし、悲しかった。

でも、子供心に、大きな不安は無かった。

しかし。。。

転校先で、クラスに馴染めず、いじめられる結果となった。
学校にも行きたくなく、仮病で休もうとしたが、親が許してくれなかった。

正直辛かった。。。

もちろん、今では、親を恨むわけではなく、感謝すらしている。
しかし、子供が、「学校へ行きたくない」
そう言ったら、それは理由無しに認めてあげられる親になる。
僕の子供の頃の誓いである。

よくよく考えると、その頃の記憶はほとんどない。
覚えているのは、仮病で熱があるといっても、休ませてもらえなかった記憶と、
学校へ行き、算数のテストで、テストの時間に少し話したという理由で0点をもらった
算数が得意なだけにショックだった。

もっと小さい、小学1,2年の楽しい記憶、幼稚園の記憶すら残っているのに。。。

3年の冬に転校し、4年生終了までクラス替え無し。
辛い時期は、1年以上にも及んだ。


3.キッカケ。。。「社会事件」そして、笑わせる楽しさ

5年になり、クラス替えがあった。
やはり、クラスに馴染めなかった。

4年生の時のポジション。そして、辛さがたったの1年で身にしみていた。

しかし、担任の先生、そして、僕BenBenを語る上で忘れることのできない友達が、現れた。

おそらく、彼らがいなければ、僕は、全く違う人生を歩んでいただろうし、彼らがいたおかげで
僕は、こうして元気に生きていられる。

感謝してもしきれない人達である。

クラス替えがあって1週間位立った時に、ある「出来事」が起こった。

たまたま、同じクラスになった、「ワッタ」
彼が、僕にあだ名を付けてくれた。勉から、「ベン」であった。
「ベンちゃん」と呼ばれるようになった。

この一言、しかし、たった一言で、変わっていった。
先生も、クラスの仲間も、そう呼んでくれる。

友達も出来た。仲も良くなっていった。

なぜだろう。こんな一言なのに、僕にとっては、かけがえの無い「一言」である。
辛い期間が長かった僕は、嬉しかった。
学校が好きになった。
こんなことが、僕にとっての「人生を変える大きな出来事」だった。

先生(愛称は「ゴリラ」だった)も素晴らしかったのだろう
クラスの中では、皆、あだ名があったのではないだろうか。

そのせいか、とても中の良いクラスとなった。
今でもそんな習慣はあるのだろうか。。。ふと思う。

そんな中、僕の「転機」が訪れた。

忘れもしない、社会の授業である。

ゴリラ先生が、何やら、怒りながら社会の授業をしていた時(何故怒っていたかは記憶に無い)
黒板に、「貿易」という漢字を書く所、「易貿」と書いたのだ。
かなり大きな文字で書いてある。
僕は、そこでその間違いを指摘した。イヤ、授業に突っ込んだのだ。

そこで、クラスは大爆笑。

思い起こすと、何がそんなに面白いのか!?
しかし、「箸が転げてもおかしい」年頃だったのか。
かなり笑った記憶がある。

それと併せて、笑わせるって楽しいな、て思った。
イヤ、感じたのだろう。

怒りながら授業をしてた、ゴリラ先生も笑ってる。
シーンとしてたクラスも大爆笑。自分も楽しい。

笑わせるって、凄いことなんだ。。。そう思うのは少し先のことである。

この「社会事件」に味をしめた僕は、授業に突っ込むことから始まり、
友達と話すときも、笑わせよう、という感情が出てきたのであった。

いじめられた僕。そこから、クラスの中でやっと友達ができ、楽しさが分かって来た
そして、「人を笑わせる素晴らしさ」
いや、カッコをつけすぎか。。。

今思うと、クラスには「僕がいる」そんな叫びだったのかもしれない。

しかし、この「転機」が僕の人生を変えることとは、思いもよらなかった。


4.お笑いを目指す。そして、好きな子への語りと勝手な誓い

小学校時代の「転機」を境に、授業へ突っ込むこと、そして、友達を笑わせること
は小学校を卒業した後、中学校へ行っても続いた。

中学校では、小学校で中の良かった友達も同じクラスで何人かいて、
また、彼らが、「ベン」と呼んでくれることにより、僕のあだ名も
すぐに広まった。

小学校での「社会事件」は、人の揚げ足を取り、笑いを取る。
という物であり、考えると余りよいものではない。

授業中ならまだしも、人や友達に対しても、同様の笑いを第3者に対して
取ろうとしたため、いささか、イサカイも起こった。

しかしながら、大きな衝突もなく、平穏無事な学校生活を送っていた。

ここで、また「出来事」が起こった。
人なら誰でも一度は通るであろう淡い思い出。

そう、初恋!!

今では信じられないくらい遅い初恋である。
人に憧れること、好きであること、知ってはいても、「心から人を好きになる」
僕が知ったのは、中学3年の出来事だった。

クラスに転校生が来た。
特に気にはしない普通の女の子だった。
(事実、転校してきた日の記憶など無いのだから)

それから、一月位経った時だろうか。。。
席替えで隣の席となる機会があった。

「まぁ、別にぃ〜」みたいな僕だった。
が、席が隣である以上、話をする機会もできる。
話をする。そして、何が起こったか!?

話が噛み合ったかみ合った(つもり)なのだ(笑)

そして、それは、話してて楽しかったのだ。

もちろん、仲のよい友達とは噛み合う話はしていた。
バカなことも言ってた。

それでも初めてだった。女の子と話してて、こんな話がかみ合って、楽しいのは。

当然の成り行きとして、その子に惹かれ、気づいたら、好きになってた。
(初恋話は、別の自伝で綴っています。こちらも感動!!)

その子と話してるときに思った。
「お笑い芸人になろう」って
人を楽しませること、笑わせることの素晴らしさ。
何より、彼女を楽しませることが好きだった。

やっぱり、BIGな人間じゃないと。。。みたいな考えもあった(笑)
さらに、盛り上げるために、話を大きく、という心もあった(爆)

何度か「将来は、BIGなお笑い芸人になる」「芥川賞を受賞する」
彼女に、そんな夢を語った。

僕は、相変わらず授業での、「突っ込み」を行っていた
それで、遠くの席からでも、少しでも、彼女を笑わせられるなら。
理由は少しずれていた。

とにかく毎日が楽しかった。
「少しでも笑わせられるなら、少しでも話ができるなら」
そんな理由なのに、毎日が楽しかった。

でも、辛かった。
彼女のことを思うと、楽しくて、そして、辛い。

彼女の心が見えなかったから
※恋愛話ではありません(笑)


5.恋は散っても、夢は散らない

※※恋愛話ではありません(笑)

中学3年終わりともなると、高校受験の話になる。
幸か不幸か、成績はいつもクラスで2番手の位置だった。
彼女のことでアタマが一杯だった僕は、当然成績が下がった(笑)

おかげで(?)、彼女と同じ高校を選択することとなった。
最後の決め手が、彼女だったことは当然誰にも言わないかった。

ウブだった僕は、もちろん想いを伝えることなんてしていなかった。

当時、少女漫画で、「星の瞳のシルエット」という漫画があった。
主人公は中学生から高校生になる少女達、少年達。
ありきたりのラブストーリーに自分をオーバーラップさせながら見ていた。

僕だって、漫画の人物と同じ。ただ、一緒にいたかった。
形は無くても、近くにいて笑ってる姿が見たかった。

そして、同じ高校へ進んだ。
クラスは離れた。

寂しかった。
たまに、教科書を借りに来る彼女。
クラスの休み時間、借りに来る彼女を期待する。今日は来た、今日は来ない
明日もまた来るかも。

そんな休み時間に一喜一憂した。

でも、その時しかあえない。

想いは募るばかりだった。

形に期待していなかった僕だが、いつしか形を求めていた。

僕は、彼女にラブレターを書いた。

何度も書き直した。人生で最初で最後(?)のラブレターは
真っ白い便箋に横書き、2枚の長さだった。

投函したのは僕の人生最大の決断だった。

数日後、恋は敗れ去った。
「友達」という意味を辞書で引きたくなった(笑)

北の大地も少し暖かくなり始めた、高校1年5月の出来事だった。

恋が破れての高校生活。
「恋破れて、高校生活有」
元が分からなくなるくらいの詩が読めそうだった。
※国敗れて、山河有です。

漫画の主人公は、見事恋を実らせた。
僕は、物語の主人公にはなれなかった。

しかし、人を笑わせる。この感情だけはなくならなかった。
いじめられたくなかった?
彼女に約束した?
それしかなかった?

いや、違う。

僕自身が、人を楽しませることが好きだったからだ。

恋に破れても、僕の夢は破れていなかった。

この時期と前後して、ある言葉を知った。
「芸人って言うのはね、笑われちゃダメなんだ、笑わせる物なんだよ」
テレビ番組から流れてきた、ビートたけしさんが言った言葉だった。

自分で笑われるのは、芸人ではない。
腕で笑わせないといけないんだ。心に入った。

場に合わない時は、引くように。
笑われるのではない。
少し考え方も変わって言った。

「おれたち、ひょうきん族」は僕のお笑いの、夢の、そして心の支えだった。

恋に破れた僕の支え「ひょうきん族」そして、愛するお笑い番組達。

「BIGな芸人になる」から、「ひょうきん族」「笑っていいとも」のレギュラーになる
それが僕の中では「BIGになる」に変わっていた。

恋が破れたことにより、向かうエネルギーが、一つになって
「お笑い芸人」への思いは大きくなるばかりだった。

夢の主人公になるべく、高校生活を過ごした。


6.上京

時が経ち、僕の心の支え「ひょうきん族」が灯を消した。
実は、その数年前「8時だよ全員集合」も灯を消していた。

確実に変わっていく、時代の流れ。お笑いの流れ。

その流れの中に、消え行く愛する番組達

消えた時はさびしかった。
しかし、夢は変わらなかった。
「ひょうきんを復活させたい」そんなことすら思った。

中学時代に、「一流芸人になる」という僕の夢。
北海道住まいの僕には、そのままでは叶わなかった。
なりたい旨、親に話すと反対された。

折り合いとして、東京の大学へ行くことなら許された。

受験の厳しかった時代。
つまりは、受験生が多い時代。

僕の成績では大学自体厳しかった。。。しかし、東京へ行きたい一身。
そして、数学が好きだった僕は、見事埼玉の、数学科のある大学へ合格した。

「奇跡」と言われた物だった(笑)


あふれる夢を抱えて僕は上京した。
簡単に芸人になれる。自分ならなれる。

そう信じて疑わなかった

僕のわがままに、最終的には合意してくれた、両親、そして妹に僕は感謝している。
あの頃書いた僕のネタ帳。
つまらないネタばかりなのだが、ノートの片隅に、見つからないように
「BIGになって、もう一度家族で暮らす」
そう書いてある。

まだまだ寒い4月の北海道釧路。
18歳の僕の門出だった。

子供を送り出す親の心境。今ならわかる。
子の背中を押す親心。

僕の子供が旅立つ時、僕も同じように背中を押してあげよう。

それが、僕の教えであり、両親の教えでもあるのだ。


7.頑張る僕と現実と

4月に僕は上京した。
18年暮した北海道を”捨てて”僕は埼玉へ来た。

何もかもが新しい。そして、自分の夢を信じて疑わなかった。

「まずはオーディションだ」
とりあえず、何でもよかった。
日テレ系の、音楽番組のオーディションを受けた。当然落ちた(笑)
笑っていいともの素人参加企画を受けた。ダメだった
クイズ番組のオーディションまでも手を出した。ダメだった。

どこかの事務所に所属しなくては。。。
広告で見た事務所のオーディションを受けた。
何故か良く分からない、補欠で通った。

5人しか通ってないはずが、最初の日に言ったら150人いた。
「こんなものか」

いつしか、自分ではできない。そう思い始めていた。

あれほど疑わなかった、BIGな芸人。

しかし、失敗の連続、あわせるように、バイトをするようになり、お金を持つようになった
僕の暮らし自体が楽しくなっていた。

正しくかけていたボタン。一つ飛ぶようになった。

そんな中でも、歌手を目指した友達がいた。
夜、部屋で「お互いビックになろうぜ」そう約束する友達がいた。

「数学の教師になるのが夢やねん」
そう言ってくれた友達もいた。

夢に大小はない。いかに強く思えるか。
自分に言い聞かせるように、友達に「絶対になる」そう言っていた。

頑張る友達。それに比べ、日々の暮らしのなかで、夢の重さと大きさと、楽しい暮らし
そして、夢から目をそらして行く僕

素人観覧企画、CMエキストラ。
少し映った位で悦び、「見ましたよ」と言われて、嬉しかった。
そんなことで満足していた。

いつの頃からだろう。。。。夢を話すのが、恥ずかしくなったのは。。。

笑われても、「絶対なりますよ」笑いながら言えていた僕の笑顔が、
苦笑いに変わったのはいつからだろう。。。


8.ラストチャンス。

大学も3年の終わりになると就職活動となった。
僕は、当たり前のように就職の道を選んでた。

周りが就職するから?安定した生活がいいから?
自分への甘えがそこにはあった。

北海道から出てきた時の、気合い、思い、は、そこには見られなかった。

アマちゃんだった。

そんな僕が、就職試験に通るわけも無く、全て撃沈
唯一通った試験も、寝坊して最終面接は不参加に終わった。

バイトの生活が楽しかった僕は、フリーターでもいいか。。そう思った
「夢を追う」そんな名前の「夢」という、逃げ道を選んでしまってた。

そして、大学4年の冬。Beingに、銀座7丁目劇場の芸人募集が載ってた
「ラストチャンス」
そう思い、ネタもそこそこ、行く途中の電車で考えながら行った。

もちろんダメだった。

僕の4年間はなんだったんだろう。。。
夢を実現するはずの4年間は、大学生の4年間にすりかわっていた。

大学卒業そして、僕は、フリーターになっていた。

「ラストチャンス」自分自身に勝手に壁を作ってしまった瞬間だった。


9.ドロップアウトとフリーター

フリーターとなった僕。しかし、同じ働くならやはりサラリーマンかと思って
就職を目指した。
そして、見事第二新卒として6月から働き始めた。

会社は地獄だった。

詳細は書かないが、軍隊のような会社だった。
中途半端に頑張ったおかげで、2ヵ月半もいてしまった。
しかし、もめながら辞めた。最後に
「お前を働かせなくする事位簡単なんだぞ」と言われ、当時の都知事の名刺を
見せられた。

正直、二度とサラリーマンにはならないと誓った。

フリーターに戻った。

夢も目標も、何も無く働いたのだ

毎日バイト、稼いだお金は競馬と飲み代。

夢という言葉もほとんど出なくなっていた。

たまに話しても、
「夢?大学の頃は色々なオーディションで。。。」
昔の話をする老人になっていた。

大したこともしてないのに、さも、できそうだったように。
それが、精一杯の抵抗だった。

僕の、僕自身の過去への抵抗、未来への抵抗。

心がこれ以上傷つくのが怖かったのかもしれない。

1年半。空白の時間。しかし辛くは無かった。でも楽しくも無かった。


10.辛い時代−2〜空白の人生での出来事〜

フリーターも1年半を過ぎた頃、もう一度定職に着くことを考えた。
2箇所面接を受けた。
工場が落ちて、ソフト開発の会社が通った。

世の中分からない物だと思った。

経験無しの状態から、ソフト開発を始めた
始めは良く分からなかった。
怒られもした。

しかし、辛くは無かった。

友達も出来た、仕事は楽しくなかったが、やりがいがある”時”もあった。

しかし、勤めている会社が小さく、出向して働いている以上
そこには、”定住”できる場所はなかった。

やりがいは無い。でも、給料ももらえて辛くも無い。

そんな生活になんら疑問は覚えなかった。

そんなこんなで、8年半勤めた時のことである。

33歳になったある日、仕事がイヤになることがあった。
ホントに大した理由ではない。

しかし、イヤになった。
この先、このままで良いのだろうか?

不安を覚えた。
仕事は続けられるのだろうか。。。

33歳、残りの人生の長さに気づいた。


11.夢再び

この時と前後して、メルマガなどで、情報起業なる物を知った。
「何もしないで月50万
幸せにプチリタイヤする方法」の作者
石井貴士さんとの出会いがあった。

仕事がイヤになった時の後、石井さんのセミナーがあった。

そこに出席した。
そこで聞いた全てに感銘した。

何より、お金が稼げるなら、仕事をやめても、続けられなくても大丈夫。
そう思ったのだった。

しかし、そのセミナー後に、読書、セミナーなどを通して勉強するうちに
夢の大切さ、人生の目的を再確認することができた。

いつからだろう、自分の夢を正直に言えなくなったのは。

回り道してしまったが、今なら言える。僕の夢。

誰にだって、どこだって。

ラッキーだったことに僕にはキッカケがあった。
そして勉強するうちに、僕自身変わっていくことができた。

そして、まだまだこれからも変われる。

回り道をしたかもしれないけれど、これも全て僕の生き様
僕の人生だ。

そう、これは僕の人生だ。
それなら、自分のやりたいこと、夢をかなえていくのがいいのではないか?

夢を持つこと、話すことって恥ずかしいことだろうか?
そんなことは無い。

夢はかなえてナンボ!!
でかい夢かなえたるでー!!


12.エピローグ

「夢」ってなんだろう。
そう考える機会すらしばらくなかった気がする。

仕事をこなし、給料を上げ、少し良い生活をする。

まぁ、いいことかもしれない。でも、それってやりたいことなんだろうか?

やりたいことってなんだろうか?それって夢なんじゃないか?

僕は、社会人になってから8年で「夢」ということを聞いたのは
1人しかいません。

良い仕事をこなして、給料上げて、家を買って。
これもきっと夢なのでしょう。

でも、「あなたの」夢ですか?
「あなた自身の」夢ですか?

それをやりたいと思ってますか?やりたいと思ったことですか?
やってて楽しいですか?
このまま、一生それが続けられますか?

僕には、夢がある、やりたいことがある。

きっと、誰にでもやりたいことはあるはず。

様々な理由で自分にフタをしているんではないか?

以前の僕がそうだったように。

何かを始めるのに、「遅い」なんてことはない。

何故なら、今が一番若いから!!

あなただけの人生。

どんな人生を歩みたいですか?

あなたの人生には、どんな夢がありますか?

僕の夢への道は、まだ入り口に立ったばかり。

でも、立ってみると見える景色は変わってきます。

あなただけの人生

どんな人生を歩みたいですか?

ミラクルライフコーチBenBen


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